ちょっとしたこと #他人のハズレ・自分のアタリ
娘が、義母に、ドロップを
買ってもらって帰ってきた。
さっそく、缶を開けて食べている。
そこにダンナが来て、娘に、
「ドロップ1個ちょうだい」
とおねだり。
娘が缶を振って出てきたのは
「ハッカ味」。
だんなは、それを見て
「あ~、はずれじゃん。
もう1回やりなおして」
と残念顔。
娘も
「私も食べないから、パパが食べて」と、
2人で、「どうぞ、どうぞ」の、
ダチョウ倶楽部状態。
こらこらこらこら~!
なんて罰当たりな!!
ハッカ味は大当たりでしょうが!
「私が子供の頃は、姉と二人で、
ハッカ味の奪い合いよ。
で、ハッカ味がなくなったドロップ缶は、
魅力半減状態だったのに」
と、自慢気に話したところ
「え~~?何それ。逆でしょうが。
ハッカが出ると、すごい、残念なんだけど↓↓↓。
歯磨き粉たべてるみたいじゃん」
と、言い返された。
こっちこそ「え~~~?」である。
「甘いだけでなく、そのすーっとする味が、
他のドロップと違ってて、いいのに」
と、言い返しかけたが、娘が
「じゃあ、ハッカは、ママが全部食べて」
というので、私にとっては、
棚ぼた状態のラッキーな展開になり、
コメントストップ。
「好みが違う」ということは、
視点を変えると、
こんなラッキーなことも。
これまでのブログで、うちの家族は、
食べ物の好みがバラバラで、
メニューに苦労すると、
何度か愚痴ったけど、
これも、場合によっては、
「ラッキー」でもある・・・か。
ということで、ちょっと思い返してみた。
我家は、クリスマスになると、
実家から送られてくる
チキンの丸焼きを食べるが、
その時も、「住み分け」ならぬ
「食べ分け」しているなぁ。
(この好みの違いで、平和的に分配できる)
事情を知らない人が、この光景を見ると、
「ダンナ、子供においしいところを
すべて譲り、自分は、骨部分だけを
食べるなんて、なんて、家族思いの
お母さんなのかしら」
とか
「自分だけ我慢して、かわいそう」
などと思うかもしれないが、私にとっては、
この分配が、この上ない幸せ。
(どちらかというと、自分のところに
骨周り部分が集まるように、みんなに
「その他」部分を分配している感じ)。
クリスマスケーキには、娘の希望で、
イチゴのケーキを用意するが、
娘は、イチゴ嫌い。
スポンジ部分も、ろくに食べない彼女は、
「生クリーム命」。
私は、生クリームが多すぎると、
ちょっと胃もたれするので、
いちごとスポンジ多めが好き。
で、娘と利害が一致。
好みや価値観は、人それぞれで、
他の人には「ハズレ」と思われるものでも、
私には「アタリ」「価値あり」であるものは多い。
食べ物以外でいうと、例えば空きビン。
私は、ビンが捨てられない。
ビンは、割れるデメリットはあるけれど、
匂いがつきにくい、中身が見えるという
メリットがあり、ジャムや、コーヒー、
スパイスなどのちょっとかわいいとか、
機能的な感じの空きびんが、
いくつも並んでいると、
なんか気持ちいい。
私は、スパイスの空きビンに、
爪楊枝をいれている。
ふたもできるし、1本ずつ出すこともできる。
爪楊枝に、ほのかにスパイスの香りが移り、
自分の中では、なかなかのヒット。
(これは、ドライパセリが入っていたビン)
他人には、使い終わったスパイスのビンは、
ただのゴミかもしれないけど、
私にとっては、可愛い雑貨。
それから、スマフォ。
私のスマフォは格安SIMで、かつ、小型。
一般のスマフォに比べると、画面が小さくて、
容量も少なく「ハズレ」機種に見えるかもしれないが、
ネット環境は、PCメインの自分にとっては、
スマフォは、電話、メール(ほぼ閲覧のみ)、
LINE、時計位しか使わないので、
ガラケーと同じようにポケットに入れられる、
安い、という点では「アタリ」。
家族は、
「普通サイズのスマフォに変えたら?」
と勧めてくるけど、当分、
機種変する気持ちはないな。
価値観は人によって、千差万別。
どれが正解ということはなくて
(他人の迷惑にならないこと前提で)、
自分の価値観だけで、他人のことを、
良い・悪いとか、幸せ・不幸せとか
評価してしまうのは、
ちょっと傲慢なのかもしれないな、
と、ちょっと感じた。
ついつい、
「自分の価値観=世間の常識」
になってしまうことを反省。